2019.08.09

ヨガと姿勢

デザインという仕事の性質上、椅子に長く座って姿勢を崩してしまうことも多く、気をつけるようになったのはここ数年。同様に、写真を撮る姿勢というのも、両手で抱えるように顔の前にカメラを持ち、レンズを覗き、息を止め、思い切り猫背の姿勢で撮る形になり、いずれの仕事でも「姿勢」問題とは長く共存してきました。

意識して姿勢を整えるようになってから気づいたことですが、猫背というのは体にも心にも良くない。ボクサーがファイティングポーズを取るような状態で仕事に向かうのは、目の前に集中することはできるものの、両肩が前に入るため肺を縮こめてしまい、呼吸は浅くなる。体は恒常的に酸欠に近くなり、考えるにも頭に酸素が回らない。結果、疲れやすくなり、気分が乗らなくなり、あまりいい仕事ができない。そんな状態で過ごしてきた中で、これはいかんと一念発起し運動を始めたのが「ヨガ」でした。

そもそも、そんなに運動したくない

しっかり運動をしていたのは学生の頃までで、それからは運動と言えることはあまりしていませんでした。走るのは疲れるし、スポーツジムはあんまり気が乗らないし、じゃあヨガでもやってみようか。積極的で消極的な選択としてのヨガ。始まりは、そんなものです。

とはいえおもしろいもので、やり始めると不思議にもうまくハマり、毎日少しずつ体が柔らかくなってくる、姿勢を気をつけようという意識が芽生える、積み重ねることで体に元気が巡ってくる、元気になると日常がアクティブで楽観的になってくる、というポジティブなサイクルがくるくると回り始めました。

椅子に座りながらの仕事は変わらないし、普段からお酒も飲む。ヨガをする人としてはきっと、不摂生がたくさんあります。全てを正しくはできない。

いくつかの好きなものの関係性は、理屈では説明できないことがたくさんあります。だから、何かをするために何かをやめなければいけない、なんていうことはないと思うし、そんな外側からの評価も、言ってみればどうでもいいこと。

やりたいことの積み重ねの連続の上に、まだ見ぬ未来が切り開かれる。そこに向かう姿勢は、いつも真っ直ぐでありたい。そんなふうに、「姿勢」というひとつのものに対して様々な角度から考えること感じることができるのもまた、ヨガの不思議です。

資格というカリキュラム

「インド政府公認校認定 TATTWAMASI YOGIC HEALING CENTER修了認定 ハタヨガ・ヨガ哲学 というクラスを2年かけて勉強をして、修了しました。

本業とは違うものを、真剣に学んでみたい。特にヨガインストラクターになりたいとかとは少し違い、ただ知識と経験を自分に植え付けたかったという安易なもの。きっかけもまた、師事したインド人の先生に「来月から始まるから来てみれば?」と言われたので、「OKいくいく」というものでした。

誰かから何かに誘われたとき、不意の誘いは想像の枠を超えていると、人はそこに見えない恐怖を覚え、断ってしまうことが多いと言われています。子供の頃にはそんな誘いに乗っていたのに、大人になると半端な知識で世界を安易に簡略化してしまい、不慣れに恐怖を感じる。

ということを以前どこかで見聞きしたこともあり、まずは想像もつかないそこを目指してみようという、計画的な偶発性を課して楽しむという試みでした。

結果オーライ、旅の準備は面倒だけど旅から帰って来て後悔したことがないように、たくさんの勉強とトレーニングの上に得た経験の数々は、今の自分の様々を支えるものとなっています。

お酒の量も変わらないし、むしろ健康すぎてしっかり飲むし、正しい生活をしているかといえばそうでもない部分も多々。それでも、2年という時間をそこに費やせたことは、なかなか日々物事に対する姿勢を支えてくれています。

カリキュラムはといえば、当然のことながら「基本」を学びます。基本を学ぶこと、まずはベースの知識を学ぶことは、「それがある」という知識の種を植え付けること。知識があるとないとでは可能性は雲泥の差で、その知識がなければ想像さえしない、想像さえできないということ。知識は世界を広げるとよく言いますが、本当にその通り。他の国があることを知らなければ、他の国に行きたいとさえ思いもしない。夏の後には必ず秋がくると知らなければ、いつか涼しくなるという希望さえ持てない。つまり、知識は希望。基本とは、スタートラインに立つこと。基本を学んだからといって何ができるわけではないけれど、まずはスタートラインに立つための知識を学ぶということ。
このポーズは身体のどこに効く、このポーズとこのポーズを繋げることでこうなる。その時はどこに力を入れる。そんな基本ばかりですが、教わったからこそ、思い出せる。復習ができる。それを学んだことで見える景色の入り口に立てたこと。それこそが、2年の経験を経てスタートに立てたことこそが、自分の中でヨガを深く知る、様々な形で実践するための礎になっています。

カラダという遊び道具

日々に走ったりもしないし、散歩程度の山歩きしかしない。そんなゆるい肉体も、実は遊び道具になったりもします。

以前パリで、きっとたくさん飲むし食べるから少しくらい体を動かす予定を作ろうと、ヨガクラスに参加しました。

フランス語はまったくわからず、優しく英語で話してくれるインストラクションも9割わからず、でも周りを見ながらポーズをとる。この体を遊び道具として使う。そんな遊び方をしました。

ワインを飲むのもよし、フランス料理を堪能するもよし。写真を撮るのもよし、そこに軽い運動が入るのもよし。大したコミュニケーションを取ることはできなくても、まあみんな一緒だよね、できるポーズとできないポーズとあって、まあいいよね。ポーズと呼吸に集中してればまあ楽しいよね。そんな気分の不思議な時間を、どこでも過ごせる遊び道具を得た。それもまた、ヨガが教えてくれた遊び方のひとつです。

チャンスとセンスとリラックス

日々を積み重ねた先、思いもよらないタイミングで、チャンスがやってくることが時々あります。そのときの自分がベストな状態であれば、そんなチャンスにもしっかりと気づき、キャッチアップできる。そのためには、リラックスした状態で過ごしていることがすごく大事だと思っています。そこで初めて試されるセンス。あるいは、感覚(センス)を五感をフルに使える状態でいることで、そのチャンスに向かえる。

そのための、日々の姿勢。そのときに、向き合う姿勢。急な出来事に冷静に立ち向かうための、日常的な世界への姿勢。

そんなことが、なかなかうまくは言えませんが、ヨガで学んだことのひとつでもあります。

冷静に物事を見据えれば、やるべきことは見えてくる。1日1mmずつ体が柔らかくなれば、10日後には10mm柔らかくなる。そんな些細な積み重ねの先に、答えがある。

やっぱりヨガはいいねーとお酒を飲みながら、明日の朝からがんばろー、と思っているのはなかなか穏やかで、幸せなものです。

動画は以前、沖縄 西表島のお宿の庭で撮影した、ただただ太陽礼拝を繰り返す映像。体の硬さとかポーズの歪みとかそんなことよりも、日が昇る前の暁の時間に、のびのびと体を動かすという遊び。平和ですね。それで十分。

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